馬券メーカーで振り返る 思い出の あのレース その2

雑談・雑記

競馬法制定から100周年を祝してJRAに特設サイトが開設されています。
そのサイトの中に過去の馬券を画像データとして復刻できるサービス「馬券メーカー」が提供されています。これを使って馬券を作りながら、過去の思い出のレースを振り返ってみたいと思います。
前回は、ストレートに超個人的記憶に残るレースを3つ振り返りました。
今回は、少し趣向を変えて武豊騎手に関する思い出に残るレースを振り返りたいと思います。

なぜ、武豊騎手なの?
昨日、園田競馬場で開催されたゴールデンジョッキーカップで武豊騎手が総合優勝したというニュースをみたからです。ハイ、遅いですね。
そして、そこに載っていた写真がスペシャルウィーク騎乗時の勝負服!
今回JRAから招待されたジョッキーはオリジナル勝負服で参戦するとのことで、武豊騎手はこの勝負服を選んだとのこと。
これは懐かしいということで、あの時を思い出してみよう。ついでに武豊騎手に関する思い出のレースて何があったかなと思い出しつつ書いてます。

尚、やっぱり思い出すのは、前回に続いて競馬に初めて触れたころの1990年代半ばから後半に集中してました。。。

参考:前回(その1)は、こちら。暇があれば覗いてみてください!

思い出のレース その1 第65回東京優駿(GⅠ)

まずは、やはり、今回この記事を書くきっかけとなった悲願のダービー制覇を達成した1998年6月7日に開催された東京優駿(GⅠ)、日本ダービーです。

このレース当日、実は、少し所用でバタバタしており馬券は買ったけどリアルタイムで見てないんですよね。
当然、結果確認や夜のスポーツニュースでチラ見した記憶があるのですがレースの最初から最後までをじっくりと見た記憶がなかったんですよね。
まぁ、馬券を盛大に外したからというのが一因にあるのですが。

もう一つ、このレースをしっかり見てなかった理由があるとしたら、この当時、武豊騎手は、常にリーディングトップの勝ちまくりの状態が長く続いていおり、このレースでも当然1番人気。中穴党かつ、判官びいきな傾向が強い自分としては、アンチ武豊の傾向があったかなと。ダービーも取ってパーフェクトかよと。今、思うとなんだか意味わからないひがみ根性ですね。。。
ちなみに、今は、ベテランの域で奮闘している姿に勇気をもらっており、結構、武騎手推しだったりします。。。(我ながら自分勝手)

ちなみに、盛大に外した馬券はこちら。

軸は、世代が近いというだけで勝手に親近感をもっている福永騎手騎乗のキングヘイロー。
東スポ3歳S勝ちから2、3着続きで、判官びいき心をくすぐる存在でした。
相手は、5~6頭に流していたと思います。
その中で期待していたのは、ディヴァインライト!
サンデーサイレンス×ノーザンテーストの当時、自分の中で鉄板の配合を持ち、しかも人気薄!
そして、もう一頭、エモシオン!
父にトニービン、母にオークス馬アドラーブルをもつ超良血に期待をしておりました。
結果は、14着、7着、9着と盛大にやらかしました。

そして、このレース、まさに今、初めてじっくり見たのですがキングヘイローしっかり逃げてますね。じり脚なので瞬発力勝負は難しく馬場も稍重ということもあり一発狙っていった感じでしたね。しかし直線序盤で失速しており、やはり2400mは、この馬には長いなという感じですね。
1200mの高松宮記念を勝っていますが、やはりマイル前後が一番あっていたのかなという感じですね(結果論です。ハイ)

このレースで学んだことは、アンチ武豊一辺倒では、馬券は勝てないということでした(遅い!)
この点、今も、1番人気やルメール騎手の取捨選択で役にたってます。
分析した結果、1番人気のルメール騎手騎乗馬が堅いとなれば、そこから流すこともありますし、相手も堅そうだとなったら、旨味がないので見送ろうという判断を、この当時より少しはできるようになったと思います。

思い出のレース その2 第118回天皇賞(秋)(GⅠ)

そして、お次は、これも大舞台、1998年11月1日に開催された天皇賞(秋)(GⅠ)です。
このレースは、トニービン産駒のオフサイドトラップの初GI制覇、またもシルバーコレクターとなってしまったステイゴールドといった1、2着の決着でしたが、それよりなにより記憶に残っている、残り続けているのは、”異次元の逃亡者”サイレンスズカですよね。

このレース、自分は馬券は購入していませんでした。レースは、当時1人暮らししていたアパートに友人が4~5名来ていて、テレビ観戦しました。
馬券を買っている友人もおり、サイレンスズカからの流しでした。
何馬身突き放して逃げるのか?、府中の直線コースを逃げ切れるのか?、能力が桁外れだろうといった、疑問も交えつつ、もうダビスタ的な大逃走劇と画面からはみ出すくらいの圧勝を見たいという感じで盛り上がってたと記憶しています。
そして、いよいよレースがスタート、いつも通りの飛び出し、そこからグングン、まさに異次元の加速で後続を引き離しにかかり、向こう正面では、2番手サイレントハンターを10馬身ほど引き離して、なおもスピードを緩めることなく3コーナーに飛び込んでいく。なお2番手サイレントハンターの後ろはさらに5馬身くらい離れるという、後にも先にも見たことない隊列になってました。
ここまでくると、歴史的な瞬間が来るかもという普段ない興奮を覚えた記憶があります。
そして、4コーナー。
大欅を越え一瞬、2番手サイレントハンターがすごい勢いで追い上げている、ともみえましたが、手綱を引く武豊騎手の動作で、故障発生を悟りました。
後続がギアを上げて迫ってき次つぎと追い越していく中、コースの外へ、画面から消えていくサイレンススズカ。
レースは続き、オフサイドトラップが直線半ばで抜けだしステイゴールドが猛追するも届かずゴール。
柴田善臣騎手が歓喜のウイニングランを行い、場内からの歓声と、いつものレース後の光景がつづきます。
この時、自分も、逃げ切り勝ち見たかったが残念、オフサイドトラップはノーマークだわくらいで、あとは、サイレンススズカ引退かなとかレベルで捉えていました。
ところが、夜のニュースで予後不良という話で驚き。また粉砕骨折とのことで更に驚きが。
レースをリアルタイムでみていましたが、あのトップスピードの中で、スムーズにスピードダウンしコース外埒側へ移動していく姿に足1本が全く使えない状態だったとは思えませんでした。
のちに武豊騎手が、あのトップスピードで、あの故障をして転倒しない馬はなかなかいない、守ってくれたのかなというようなコメントを出していたと何かで見た記憶があります。馬が騎手を守ろうとするのかどうかは自分には、分かりません。ただ、この話を聞いて思ったのは、やはりサイレンススズカは体幹がしっかりしており、四肢がともに強靭な名馬だったんだなと。
タラレバの極みですが、もし種牡馬になっていたらどんな産駒が出てきて、どんな活躍をしたのだろうかと。

まとめ

今回、実は、もう1レース、前回も少し話題に出したナリタブライアン復活の阪神大賞典についても振り返ってみようと準備をしていたのですが、サイレンススズカの天皇賞秋を思い出し、文章を書いていたら今の感情を抱えたまま、ぐっと切り替えて別の話題を書いていくのが言葉にうまくできませんが、憚られるし調子が出ないと思ってしまいました。

今の感情をうまくまとめられる自信はないですが、言葉にしてみると、
競馬は、自分にとって最高のエンターテイメントなんですが、そこには、馬という生き物がいて、時にその命を落とすような事故が当たり前のように存在します。馬だけでなく、騎手や厩務員など人も時に命の危機にさらされる場面が、これまた当たり前のように存在していると思います。
また、競馬は動物虐待だといった意見があるのも認識はしています。
これをどうすればいいのか、また、これは普通のことなのか普通ではない悪いことなのか?
自分には、答えは出せないなと思いました。
ただ自分にできることは、こういった馬や人の命が関わるイベントなんだということを、時折思い出すようにして、レースが終わった後、時には、勝った負けただけでなく馬も人も無事でよかったね、と思える瞬間をつくっていきたいと思いました。
競馬に関わる全てにリスペクトの気持ちをもって、最高に愉しんでいこう。
うん、やっぱりなんかまとまらないな。こんな感じなんで調子が出ないなと。
ということで、また、しばらく時間をおいて、その3を書いてみたいと思います。

乱筆、稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、今日も一日お疲れさまでした。

また、明日、競馬を愉しんでいきましょう。

※馬券は20歳になってから。馬券は程よく楽しみましょう。


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