馬券メーカーで振り返る 思い出の あのレース

雑談・雑記

競馬法制定から100周年を祝してJRAに特設サイトが開設されています。
そのサイトの中に過去の馬券を画像データとして復刻できるサービス「馬券メーカー」が提供されています。作成できる馬券の種類は、単勝のみとなっていますが、つかってみるとなつかしさがこみ上げてきたので、これを使って思い出に残っているレースをいくつか振り返ってみようと思いました。

基本的に、思い出すのは、競馬に初めて触れたころの1990年代半ばに集中してました。

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思い出のレース その1 第40回サンスポ阪神牝馬特別(GⅡ)

まず思い出したのは、1997年12月14日(日)、阪神競馬場のメインレースとして行われた、第40回サンスポ阪神牝馬特別(GⅡ)です。

このレース、なんで覚えているかというと、生まれて初めて、払戻金が10万円を超えたレースだったからです。実は、振り返ってみると1レースだけの払戻金が10万円を超えたのは、後にも先にもこの1回のみでした。。。

馬券メーカーでは、単勝しかつくれないようなので的中させた買い目を単勝として作成してみました。
このレース、1番人気は、横山典弘騎手騎乗のカーリアン産駒のクロカミ(懐かしい!)、続いて2番人気に熊沢重文騎手騎乗のガルチ産駒のホッコービューティー、続く3番手として本命にした藤田伸二騎手騎乗のノーザンテースト産駒のシングライクトークでした。

この頃、すでに種牡馬生活の最晩年を迎えていたノーザンテーストをなぜだか、すごく応援していてその産駒推しでした。もちろん実績・実力も加味して本命としました。

馬連の相手には、良血馬のビワハイジ(これも懐かしい)やホッコービューティーなど5点流しでそれぞれ1点1,000円で賭けてました。(ちなみに当時大阪梅田のWINSは購入単位が500円でした。)
この5点流しの中で、一番の人気薄で入れていたのがエアウイングスでした。

エアウイングスを入れたのは、父がサンデーサイレンス、母父は、セクレタリアトですが、母母父にニジンスキーを持っており、サンデーサイレンス×ニジンスキーという当時の超良血配合であることが引っ掛かっただけでした。サンデー産駒でここまで人気が低かったのには買った後に気づきました。

で、結果は、10番人気のエアウイングスが1着、本命のシングライクトークが何とか2着に粘り(3着とはハナ差!)、10番人気ー3番人気決着の払い戻しが198倍というほぼ2万馬券の配当がつきました。

なので、投資5,000円で払戻が198,000円という大勝で、払戻するときに少し手が震えていたのを今でも覚えています。

いやぁ当時は、オッズもろくすっぽ見ずに、むちゃくちゃやなと今になってみて思います。

思い出のレース その2 第12回マイルチャンピオンシップ(GⅠ)

続いての思い出のレースは、1995年11月19日(日)、京都競馬場のメインレースとして行われた、第12回マイルチャンピオンシップ(GⅠ)です。

この日、生まれて初めて、朝から競馬場に足を運んで、生観戦をしました。
まず、競馬場の広さ、思ったよりも綺麗だったことに感動したのを覚えています。
また、円形パドックのすぐ間近で出走馬を見て、各馬の足音やその息遣いまで聞こえてくる臨場感に興奮したことを覚えています。

そしてもちろん目当ては、メインレースのマイルチャンピオンシップ(GⅠ)です。
このレース、誘ってくれた友人の情報で、第1回開催からここまで一度も1番人気が連を外していない、1番人気の連対率100%という話をきいていました。

なので、事前に軸はビコーペガサスで相手探しだと思い参戦していました。

事前予想では、ビコーペガサスが1番人気となっていましたが、当日、締め切りまでヒシアケボノと人気が拮抗し、一時ヒシアケボノが1番人気なる場面もありました。がしかし最終ビコーペガサスが1番人気となりそうだとなりホッとしたのを覚えています。まだこの時点では、1番人気がくることを疑ってなかったです。

なので、馬券としては、ビコーペガサスから、5点ほど、人気に応じて傾斜をつけて購入していきました。ただ遊び馬券として、ヒシアケボノから、3点ほど流すものも追加していました。
そしてこのビコーペガサス、ヒシアケボノの相手の両方に16番人気のメイショウテゾロを入れてました。
メイショウテゾロを入れていた理由は、何かでよんだ専門誌で、メイショウテゾロの逆襲みたいな記事を見たのと、友人から星川厩舎の短距離馬は要注意という話をきいたのをそのまま鵜呑みにした結果でした。人の意見に丸乗っかりです(w

そして、レースに突入、4コーナー回って、ビコーペガサスとヒシアケボノがリードし始めて、1番人気、2番人気決着かと思っていると、確か内をついて、ピンクの帽子が伸びてきて、周囲は騒然、自分はメイショウテゾロと確信して、興奮マックス!
とその時、大外からものすごい勢いで1頭まくってきている馬が、、、オレンジ帽の13番トロットサンダー!?そしてその勢いのまま、差し切ってゴール。

場内は騒然と、少し静まりかえったような、あ~あ、なんだこれみたいな感じだったのを覚えてます。
そして、場内が一斉に沸いたのが、払戻のアナウンスが出た瞬間です。
馬連が1000倍超え、つまり10万馬券が出たところでした。
当時は、3連系や馬単がない時代なので、馬連で10万馬券には早々お目にかかれなかったと記憶してます。ましてや、これまで1回も1番人気が連を外していないレースで出るなんて。。。

自分は、さらに、100円でしたが、ヒシアケボノーメイショウテゾロの組み合わせを買っており、たしか300倍~400倍くらいのオッズだったと思いますが、それをゴール直前で吹っ飛んだ衝撃と相まって、何かがっかりよりも変な笑いがこみ上げてきたのを覚えてます。

このレースで、競馬に絶対は無いということを、競馬を始めた直後に学ばせていただいたことを大変ありがたかったかなと今でも感謝してます。

過去データから行くと、これは堅い、1倍台前半の単勝人気で連対は間違いないなどの意見や予想を見ても、でもそうならない時もあるからね、と自然と思えるようになってます。
それもこれも、この時の教訓があったからこそだと思ってます。

思い出のレース その3 第65回東京優駿(GⅠ)

まずは、やはり、今回この記事を書くきっかけとなった悲願のダービー制覇を達成した1998年6月7日に開催された東京優駿(GⅠ)、日本ダービーです。

このレース当日、実は、少し所用でバタバタしており馬券は買ったけどリアルタイムで見てないんですよね。
当然、結果確認や夜のスポーツニュースでチラ見した記憶があるのですがレースの最初から最後までをじっくりと見た記憶がなかったんですよね。
まぁ、馬券を盛大に外したからというのが一因にあるのですが。

もう一つ、このレースをしっかり見てなかった理由があるとしたら、この当時、武豊騎手は、常にリーディングトップの勝ちまくりの状態が長く続いていおり、このレースでも当然1番人気。中穴党かつ、判官びいきな傾向が強い自分としては、アンチ武豊の傾向があったかなと。ダービーも取ってパーフェクトかよと。今、思うとなんだか意味わからないひがみ根性ですね。。。
ちなみに、今は、ベテランの域で奮闘している姿に勇気をもらっており、結構、武騎手推しだったりします。。。(我ながら自分勝手)

ちなみに、盛大に外した馬券はこちら。

軸は、世代が近いというだけで勝手に親近感をもっている福永騎手騎乗のキングヘイロー。
東スポ3歳S勝ちから2、3着続きで、判官びいき心をくすぐる存在でした。
相手は、5~6頭に流していたと思います。
その中で期待していたのは、ディヴァインライト!
サンデーサイレンス×ノーザンテーストの当時、自分の中で鉄板の配合を持ち、しかも人気薄!
そして、もう一頭、エモシオン!
父にトニービン、母にオークス馬アドラーブルをもつ超良血に期待をしておりました。
結果は、14着、7着、9着と盛大にやらかしました。

そして、このレース、まさに今、初めてじっくり見たのですがキングヘイローしっかり逃げてますね。じり脚なので瞬発力勝負は難しく馬場も稍重ということもあり一発狙っていった感じでしたね。しかし直線序盤で失速しており、やはり2400mは、この馬には長いなという感じですね。
1200mの高松宮記念を勝っていますが、やはりマイル前後が一番あっていたのかなという感じですね(結果論です。ハイ)

このレースで学んだことは、アンチ武豊一辺倒では、馬券は勝てないということでした(遅い!)
この点、今も、1番人気やルメール騎手の取捨選択で役にたってます。
分析した結果、1番人気のルメール騎手騎乗馬が堅いとなれば、そこから流すこともありますし、相手も堅そうだとなったら、旨味がないので見送ろうという判断を、この当時より少しはできるようになったと思います。

思い出のレース その4 第118回天皇賞(秋)(GⅠ)

そして、お次は、これも大舞台、1998年11月1日に開催された天皇賞(秋)(GⅠ)です。
このレースは、トニービン産駒のオフサイドトラップの初GI制覇、またもシルバーコレクターとなってしまったステイゴールドといった1、2着の決着でしたが、それよりなにより記憶に残っている、残り続けているのは、”異次元の逃亡者”サイレンスズカですよね。

このレース、自分は馬券は購入していませんでした。レースは、当時1人暮らししていたアパートに友人が4~5名来ていて、テレビ観戦しました。
馬券を買っている友人もおり、サイレンスズカからの流しでした。
何馬身突き放して逃げるのか?、府中の直線コースを逃げ切れるのか?、能力が桁外れだろうといった、疑問も交えつつ、もうダビスタ的な大逃走劇と画面からはみ出すくらいの圧勝を見たいという感じで盛り上がってたと記憶しています。
そして、いよいよレースがスタート、いつも通りの飛び出し、そこからグングン、まさに異次元の加速で後続を引き離しにかかり、向こう正面では、2番手サイレントハンターを10馬身ほど引き離して、なおもスピードを緩めることなく3コーナーに飛び込んでいく。なお2番手サイレントハンターの後ろはさらに5馬身くらい離れるという、後にも先にも見たことない隊列になってました。
ここまでくると、歴史的な瞬間が来るかもという普段ない興奮を覚えた記憶があります。
そして、4コーナー。
大欅を越え一瞬、2番手サイレントハンターがすごい勢いで追い上げている、ともみえましたが、手綱を引く武豊騎手の動作で、故障発生を悟りました。
後続がギアを上げて迫ってき次つぎと追い越していく中、コースの外へ、画面から消えていくサイレンススズカ。
レースは続き、オフサイドトラップが直線半ばで抜けだしステイゴールドが猛追するも届かずゴール。
柴田善臣騎手が歓喜のウイニングランを行い、場内からの歓声と、いつものレース後の光景がつづきます。
この時、自分も、逃げ切り勝ち見たかったが残念、オフサイドトラップはノーマークだわくらいで、あとは、サイレンススズカ引退かなとかレベルで捉えていました。
ところが、夜のニュースで予後不良という話で驚き。また粉砕骨折とのことで更に驚きが。
レースをリアルタイムでみていましたが、あのトップスピードの中で、スムーズにスピードダウンしコース外埒側へ移動していく姿に足1本が全く使えない状態だったとは思えませんでした。
のちに武豊騎手が、あのトップスピードで、あの故障をして転倒しない馬はなかなかいない、守ってくれたのかなというようなコメントを出していたと何かで見た記憶があります。馬が騎手を守ろうとするのかどうかは自分には、分かりません。ただ、この話を聞いて思ったのは、やはりサイレンススズカは体幹がしっかりしており、四肢がともに強靭な名馬だったんだなと。
タラレバの極みですが、もし種牡馬になっていたらどんな産駒が出てきて、どんな活躍をしたのだろうかと。

思い出のレース その5 第113回天皇賞(春)(GⅠ)

本日、最後の思い出のレースは、1996年4月21日(日)に、京都競馬場のメインレースとして行われた、第113回天皇賞(春)(GⅠ)です。

このレース、当時の新聞の見出しは、復活を果たしたナリタブライアン、実力拮抗の同じブライアンズタイム産駒のマヤノトップガンの一騎打ちという内容と実力をつけてきたサクラローレルが2強を崩すという構図が多かったと記憶しています。

人気(オッズ)面では、上にあげた3頭が1~3番人気ですが、やはり実質、ナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちの様相が強かったと記憶しています。

自分は、競馬に絶対は無い、ましてや応援馬券的なお金の使い方は、リターンの可能性を考えたうえでシビアにやるタイプだと自認していますが、この時は、少し様相がちがってました。

それは、前哨戦のナリタブライアンvsマヤノトップガンの一騎打ちを見ちゃったからです。
ナリタブライアンが故障明けてから、まだ本来の強さが見られない中、迎えた阪神大賞典、最後の直線でマヤノトップガンとの壮絶なたたき合いをアタマ差制して、復活の勝利を挙げた場面を見た瞬間に、これはもう勝ち負けではなく、天皇賞(春)は、ナリタブライアンと心中だと考えました。

これまで、単勝なんて買ったことなかったのですが、この時は、オッズも何もみずに、単勝2万円1点勝負をかけました。

学生時代だったので、バイトしてためたお金2万円をつぎ込むのは、相当チャレンジでした。
結果はご存じの通り、サクラローレルの完勝で、ナリタブライアンは粘りましたが2着という結果でした。
当然、馬券は紙くずとなったのですが、不思議と悔しいとかお金が無くなったーとか賭けに負けた感情はありませんでした。ナリタブライアンに勝ってほしかった、勝たせてあげたかったという思いだけがありました。

こんな風に思えたのは、後にも先にもこの時だけだったかなと思います。
2000年代に入ると、自分は、社会人となっており競馬とのかかわりがだんだん薄くなっていく時期とかさなり、この1990年半ばの時期ほど、どっぷりと競馬に浸かっていた時間がないからかもしれませんね。久々にこの感覚を思い出すことができました!

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まとめ

20年以上の時を経て、こうやって振り返ってみると、やっぱり競馬には、賭けとして勝ち負けを追い続ける面と、なにか自分の思いを載せて、応援したり賭けではないところで一喜一憂したりという2つの側面があるなぁと改めて思いました。

競馬ライフを末永く愉しむためには、この後者の面の面白さをもっと探求してもいいなぁと、今回の振り返りを通して感じました。
いや、やっぱり奥が深い。

なにはともあれ競馬を愉しもう!

※馬券は20歳になってから。馬券は程よく楽しみましょう。

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